Giving is living. If you stop wanting to give, there is nothing to live for. Audrey Hepburn, actress
「与えるということは生きるということなのです。与えるという気持ちがなくなってしまうと、生きている意味もなくなってしまうのです」
心が狭いとどうしても人に何かをしてあげたとしても、見返りばかりを気にしてしまう。それに、なかなか自分のことでいっぱいいっぱいだと、そんな心に余裕なんでできやしない。
名声も富も手に入れ、心や懐に余裕ができると慈善活動を始める。そこまできたら見返りなんて求めないでなんでも人対して与えられる人間になっているのは理解できるような気がする。
そして、それはスーパースターぐらいの地位のある人の特権なような気もする。しかし、オードリー・ヘップバーンさんの場合、ちょっと考えが違う。彼女の慈善活動をしている場面を何度もなく見てきた。
彼女の発する思い、言葉は本物でとても愛のある人だとうイメージを持った。美人で女優で裕福で心も広い。そんな人この世に存在するの!?
するの!?
って思ったりした時期もあった。しかし、結局のところ、その人がどれだけ苦労したか、本心はどんななのか、なんて結局は本人しかわからないのだから、そこの部分をとやかくいう資格は誰にもないはず。
オードリー・ヘップバーンという生き方<オードリー・ヘップバーンという生き方> (新人物文庫)
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でも「見返りを求めず与えるということ」。これは本当に精神修行をした人ぐらいでないと理解ができないのではないかと思うくらい。しかし、それは本当は自分で気がづかないだけであることもある。
たまに私は何かをされ「ありがとう」とお礼を言うと、相手は「いつもお世話になっているから」と言う。何をいつしたのかもわかっていない。こういった無意識状態での「相手に何かをしてあげる」ということが「見返りを求めない与え」のひとつなのかもしれない。
また、気づいて与える、気づかないで与える。どちらにせよ、見返りを求めない方が結果的には精神的にも経済的にも豊かになっている人が多いと聞きます。なんとなーくわかるような・・・。
たしかに何かをだれかししてあげるとき、見返りばかりを求めていたら、心が狭い。私の周りでもいる。きっと心の中では「あの時、ああしてあげたのに!!」という声が聞こえてきそうなくらいです。
確かに・・・
これでは見返りを求めるどころか、相手からは何も返ってきません。でも、同じ「見返り」でも「人」に対するものではなく、「仕事」に対する「見返り」はおおいに期待してもいいように思える。
成果や対価と言った方があっているかもしれませんが、一生懸命努力して仕事したのですから、その分の見返りというのはきちんとあって当然なのです。