Destiny is not a matter of chance; it is a matter of choice. It is not a thing to be waited for, it is a thing to be achieved. William Jennings Bryan
運命は待っていてもこないもの。
それは自分の手でつかみとるもの。
ウィリアム・J・ブライアン
昔おもっていた。努力しても努力しても、成功できないのはなぜか。私は成功ができる運命を持ち合わせていないのではないか。とりわけ日本人は「運命」というと、自分の力ではどうすることもできないという半ばあきらめ感をもつイメージをもっている人のほうが多いように思われる。
実際、「しかたない 」という言葉は、日本人が最も頻繁に発する言葉のひとつであるとも言われているそうです。諦めがちな人が多い。そんな感じにも捉えらることもできるのでちょっと残念なことです。
確かに人生には生まれ育った環境などを含め、様々な場面で、自分の力ではどうにもできないことがたくさん存在しています。人はその自分の境遇に対し、悩み苦しむ。
しかし悩みを持っているけれど、一見幸せそうに見えるひともいます、そういう人でも人に言えないようなコンプレックスや悩みは持っているけれど、顔にはださない
反対にそのどうすることもならない運命に対し、悩みや絶望感が全面に顔に出ている 。これでは運もさらに逃げているような感じに思える。運命は変えられない、多分。
しかし、その境遇を1方向から見ているだけで絶望感を感じているより、多方から見て観ると、違ったイメージを持つことも多々ある。もしかしたら解決策が見つかることも。
マイナスのみと思ってたもの中から、プラスの部分がないか探してみる。いろいろな角度から見てみることによってマイナスではなくなることだってある可能性もありませう。
そして、変えられない運命。努力しても、努力しても、何一つ達成できなかった自分に対し、私も「そういう運命なんだろうか」と悩んだ時期もありました。そんな時に1冊の本に出会いました。山口真由が書かれた、「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある」という本。
東大を主席で卒業、エリート官僚、そして今は弁護士として活躍されています。おまけにとてもキレイな方です。ここまでのキャリアを持っている方であれば、何か特別なものを持っていると感じがちですが、全く違いました。
同じ努力でも、その努力が半端ではありません。司法試験の受験前には、睡眠3時間、食事以外は全て勉強に充て、そして寝てしまわないように、足は水につけておいたりもしたそうです。
疲労がピークに達すると幻聴も聞こえることもあったとか。このようなことから、東大主席だって、司法試験合格だって当然の結果としてとらえています。私の言っていた「努力」と言うものが「努力でなかった」と気づきました。
幻聴が聞こえるまでの勉強や努力はちょっと危険に思えますが、それでも自分が達成させたいものがあれば、これくらいの覚悟は必要ということが深く理解できました。もはや「運」とかという問題ではなくなってしまいました、私の場合。