By all means marry. If you get a good wife, you will become happy; and if you get a bad one, you will become a philosopher. Socrates
語句 “By all means”「必ず、どんなことがあっても」、“marry”「結婚する」、“philosopher”「哲学者」
ソクラテスの名言、こう考えると結婚ということが怖くなくなってくる気がする。「結婚=終わり」ではなく「結婚=始まり」と思える人はいい。でも私は前者に近い。
結婚するということがどちらにしても後悔しないように思えてくる。しかしよく考えられていると思ったけれど、そもそもソクラテスの奥様は「悪妻」と言われていたそうなので、この言葉が出てくることは不思議ではないのかもしれない。
そもそも過去に嫌なことがなかったのであれば、こんな考えにならなかったのかもしれない。全ての元凶は「優柔不断」。物は捨てられない。部屋もものだらけでもったいないという気持ちがあり、捨てられない人間だった。
部屋が汚れていると英語や資格取得のための勉強がはかどらない。部屋が汚れているイコール自分の心と同じのような気がする。優柔不断はもっと他にネガティブを運んできて、別れたい男性がいてもなかなか言えずにずるずるずる。
最終的には振られる。(=捨てられる)。もともと自分から言いたかったのだからいいではないか。と思うのだけど勝手なものでそれはそれでとても悔しい思いをする。そんなことは1回だけでなく2回も3回もくるとさすがにマイナス感情に陥ってしまう。
だから結婚も足がすくんでしまう。でもソクラテスのような考え方に気づくと違った角度から自分を見られるようになった。なので「優柔不断」やめました。そもそも何にでも目標があって達成させたいと思うことがあるのであれば、それを達成できる人は優柔不断ではないはず。
迷いやためらいなく、自分の目標に突き進むことができ、そして成功者となる。だから迷いやためらいは捨てなくてはいけない。「迷い」は「悩む」とは違う。悩むことは良いことだと思うけれど、迷いは人を後進させてしまうような気がする。
優柔不断をやめるだけで今までの自分とは違う自分になる。優柔不断により先延ばししたことばかり積もり積もってどれだけ損をしてきたかはかりしれない。進まないと何事も達成できないというのに。
前進あるのみなのです。